ルールと世界


『i-57ブログ』にオフロードチェアについての記事を書いた。
http://i-57.jp/archives/1829

今、ロンドンでのパラリンピックでは、様々な競技が行われている。
五体不満足」の乙武洋匡さんがtwitterで

将来的にパラリンピックはなくなってほしいと思っている。もちろん、障害者アスリートが活躍できる檜舞台をなくせと言っているわけではない。オリンピックとパラリンピックが統合され、いずれ、ひとつの大会として開催されることを望んでいるのだ。

と書き、そしてオリンピックメダリストのハードラー為末大さんがやはりtwitterで

義足の選手が健常者の世界記録を抜いた時に、義足選手の五輪参加は認めるべきなのかを議論してみたい。
頑張ったんだから出してあげようよという、同情目線は何よりアスリートを傷つける。彼が出場するのは公正に同じ土俵で戦って勝ったからだと認められた場合に限るべきで、それでこそ彼の業績もプライドも保たれる。義足が有利か不利かの議論を避ける事は実は一番彼のプライドを傷つけているように思える

と書いた。もちろんこれには前後の話が付随する。
また、為末さんはオリンピック陸上競技に限った話をしていることを補足しておく。

僕は、パラリンピックに健常者が参加する形になればいいのにな、と思った。
健常者の方がカテゴリーに合わせていく、機材の仕様も厳しく制限する必要がある。
例えばホィールチェアであれば、脚での踏ん張りを利用したステップに類する物を装備してはいけない、など。考えるほど機材を用いるスポーツの方がその差は小さくできる。

チェアスキーやホィールチェア競技に限っていえば、普段からホィールチェアで動いている人はかなり有利だ。何しろ地力が違う。
もちろん、カテゴリー分けは必要だけど、カテゴリーが増えれば大会運営を圧迫する。
また、健常者がそうした世界に踏み入っていくことに軋轢も生まれると思う。
問題はいろいろとあるだろうけど、現状全く別の世界にいるアスリートが同じ場で競うことは悪い事ではない。またお互いの世界が広がることでもあると思う。

そして、乙武氏がいうような「一つの大会として」行われる為には、健常者のマネではない競技から手を付けるのが手っ取り早いと思う。

過去、何人かのホィールチェアアスリートと会う事があり、その姿勢に感銘を受けた。
また彼らの競技へ自分が参加してみたら楽しいだろうとも思った。

上にかいたようなことは、現場に携わらない人間の甘い意見なのかもしれない。
でも、新しい場の新しいルールを作ることで、何かが始まったらいいなと思うよ。
それはこの話題にに限った話ではないと思う。外から持ってきたものに人間を入れ込むことを考えるよりも、適合できるように変更し自分たちの納得できるように加工すればいいと思う。

「ルール」は競技そのものだ。だからルールを参加する選手にとってできる限りフェアに制定することで、世界が広がっていくと思う。反対にいえばアンフェアなルールの競技はつまらない。あと、競技に競技以外の事情を持ち込むのもつまらない。

手前ミソだけど「ガタゴトDash!!」の「ハードテール規定」だってこの考えに根ざしている。機材の優劣を小さくし、人間の実力差が発揮しやすいコースと競技=ルールを身近に開催することで、新しい間口が開けるのではないかとずっと考えている。