なかまうちとそとのひと

ウィークエンドだというのにちょっと面倒くさいことを書く。
あー、もー、またかって思う人は読まない方が良いよ(笑)

昨日、あるイベントスタッフがtwitterで不用意な発言をしていて、
自分は関わってないイベントなのに、思わずそれをたしなめた。
顔を知ってる人間だったからね。

本人は酔っぱらっていたようだし、
仕事でもなんだかんだストレスを溜めてたようだから、
まあ、なにかで発散したい気持ちは分からんでもない。

本人はおそらく仲間内に向けた話のつもりだったと思うんだよね。
ただ、どれだけ仲間内のつもりでも、
webというのは、だれからでも見える世界だ。
全面ガラス張りの部屋のようなものだ。
しかも録音装置がついている。
本人が意図しなくても、簡単にコピーされて拡散していく。

発言には十分に気をつけないとならないと思う。
イベント組織の一員であるコトを自分で告知しておきながら、
不信を抱くような発言は厳に慎んでほしい。

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これに限らず、
仲間内の発言や仲間内の盛り上がりによって、
その世界が閉ざされた世界に見えてしまうコトだってある。

ある日、
「○○の経営が○○(経理情報)で危ない。
おれたちで何とかできないだろうか!」
という話しがこれまたtwitter上で流れた。

これは、逆効果だと思う。
その段階の情報をむやみに流す事は、
「危ない」という事実だけがあるので、
そこに関係のない人間には、なんの興味も抱かせないばかりか、
「興味あったけど、人気ないのね」って思ってしまうんじゃないだろうか。
どれだけそのことが楽しくても、
先行するイメージが悪ければ誰も始めようとはしない。

また、これが「みんなで何とかしよう!」という状態が
webでさらけ出されていれば、
それをみた無関係の人間はどういうふうに思うだろうか。
助けてくれようとするんだろうか。
結束の強さの為にそっぽを向いてしまう人もいるんじゃないだろうか。

こうした場合、現実に問題意識を共有する人間たちで、
クローズされた場所で話しあい、方向を生み出してから、
「どういう活動をする」ことを告知することが良いのではないかと思う。
実際にそうした過程で生み出された運動は、
結実しなかったとしても一定の効果を上げる事が多いように思う。

webに限らず、第一印象、うわさ話というモノを、
後から覆すのが難しいものだ。
まだ小さな世界で、仲間内の結束が強ければ強いほど、
仲間のコトを外部視点から俯瞰するのは難しいとも思う。
でも、あえてそれをする努力は必要なんだと思うんだ。

今、自分が好きなモノを人に分かってもらおうとするならね。

と、えらそーに書いてみた。

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