ひとおし

「あんなことして怖くないのか?」と訊かれます。
怖いですよ。当たり前です。

「じゃ、どうやって怖さを克服してるのか」と。
僕は臆病ですから、何度も成功の刷り込みを行うしかありません。
怖くない範囲で何度も何度も繰り返し成功して、イメージをつける。
または失敗する理由を考えて考えて、そこから反対に失敗しない理由を積み上げて克服したりもします。

失敗しない理由や成功経験を積み上げて、手が届く所まで足場を作る感じ。
もう一方で、身体を作り上げていくことで足場を作る事もできますね。
自分の身体能力への信頼が気持ちを前に推してくれる。
力技ってのも一つの方法としてありますが(笑)

それでも最後は結局気持ちの一押しが必要になるんですけどね。

気持ちを一押しするというのは自分のいる位置よりもちょっと高い所にあるものに手を伸ばす感じ。届かなければジャンプして届かせる。
掴みたいものがとても高くにあったら、その為に足場を築く。足場の頂上が狭いとやっぱり怖いので、十分に経験を積み、頂上の足場を広く作りたい。そうすれば、ちょっとくらいジャンプしても安心して手を届かせる事ができる。
怖がりながらも時間をかけながらもそこに行こうと思えるのは、気持ちの一押しを経て成功した時の嬉しさ楽しさがあるからでしょうか。

力説してしまいましたが、「ひとおし」するには他にも方法はあります。

一つは自己陶酔に入る事。こんなに苦しい事している自分は凄い!人にはできない事をしてる自分はカッコいい!と自分の世界に入る事ですね。「できたらカッコいい」というご褒美を自分で用意する事です。僕も結構この方法使ってるかもしれません。

もう一つの方法は、もっと怖い事辛い事が存在する事。
自分で罰や交換条件を作り、トレーニングノルマや目標成績を達成できなければその交換条件を自分への罰として行う。それはそれで精神力の必要な事ですね。

ただ、その怖い事を周りのひとが作り出したとしたらどうでしょう。
失敗しない理由と成功経験を積むのを待ってられない周りの人が辛い事を用意している状況というのは、猛獣使いのムチのようなものでしょうか。
猛獣使いさんの意見を聴きたい所です。

さらにもう一つは、誰かの言う事を全てイエスとして信じ込む事。
信頼できる人の言う事だからそのまま従おう、という考え。
僕は、どうかなぁと思います。
ちゃんと自分の考えと感覚を保っていて欲しいな、と。
自分で工夫することを忘れないでいて欲しいな、と。
できれば、教えあったり、一緒に意見を言いあえるようなそんな状態がいいんじゃないのかなと僕は感じています。

耳に入ってくる様々な事を考えてたら、こんな文章になりました。
まったくまとまりの無い文章で申し訳ありません。
つらつら長く書いてしまいましたが、ただただ考える事を止めないでいて欲しいなぁと。
ただそれだけです。

とりはとびたいようにとぶのです

とりはとびたいようにとぶのです