= 鉄板を溶接したころ =
フレームを溶接に出してる間に、
クルマの免許を手に入れた。
免許を取ったのは、家が商売をたたんだ時期と重なり、
仕事で使っていたハイエースをそのまま乗っていた。
だいぶ魚臭いクルマであったが…。
免許とって2週間後には全日本選手権に出場する為に広島まで行った。
たしか、コジケン、江田巨樹、大杉君、が同乗者。
そして、免許を持っているのは僕だけだった。
そういや、この時ばかりは、ガキ大将然としたコジケンが、
いろいろと気を使ってくれたのを覚えている。
そして、この広島で、翌年のエキスパートクラス昇格を手に入れた。
この頃の僕は、毎週末に限らず、嬉々としてトライアルの練習に励んでいた。
全日本だけでなく、地方大会もふんだんにあり、
行ける所は手当り次第に出ていた。
大会に出れば、なんとか表彰台に絡める(下のクラスだけど)くらいにはなったし、
会場でみんなと会う事が楽しくてしょうがなかった。
この頃に大会で出会った人間に、
GOLD RUSHの岩佐、長谷中勇、などがいる。
= 溶接から半年 =
そして、鉄板を溶接して半年ほど経った年末、
バイクを整備していて、目を疑った。
リアエンドにクラック!!

たしか、エンドをぶつけて曲げたか何かで、ディレイラーを外していて気がついた。
フレームにクラックを発見したとき、
絶望感とともに、なぜか喜悦が訪れるのだが、
この時は意外に冷静だった。
とにかくどう直すか?が頭の中を占めていた。
今になって思うと、なぜ新しいフレームにしようという考えがなかったのか?
ホントに不思議でしょうがない。
結局、今度はショップからフレームの溶接が出来る所へ修理に出した。
エンド部分はフレームが細く、自転車の溶接に慣れた人がいいだろうという
アドバイスを受けたからだったと思う。
結局、この時の溶接代も払っていない。
ショップさん曰く、「請求書があがってきてない」と言う事だったが、
ひょっとしたら、のんでくれたのかもしれないなと、今も思っている。
溶接されて戻ってきたフレームは、
また一つ勲章のような焼け焦げをつけてきた。
そして、また僕は、クリアーを軽く吹いただけで部品を組み付け、
クラック前のように乗り倒したのである。
= このフレームとの別離 =
ヘッド付近に鉄板を溶接し、エンドも再溶接したフレーム。
「フランケンフレーム」なんて言う人もいたけど、
今程トライアルに特化したフレームもなく、理論も確立してなかった当時、
このフレームでもなんとか大会で良い成績を収める事が出来た。
この時、年間で出場していた大会数は、
全日本選手権を含め14〜5戦は出場していた。
こうなるともう、大会に行く事が最大の練習であり、
他の日曜日も全て自転車に費やされていた。
その成果か、この年、たしか年間ランキング2位で、
めでたくマスタークラス(26インチの最上クラス・現在は廃止)に昇格を決めた。
そして、翌年のマスターを見据え、決断をした。
このとき、僕は前からお世話になっていたショップ『VELO WORKS』で
アルバイトをしながら自転車に乗っていた。
1年もいれば、各メーカーさんの営業さんとも顔なじみになっている。
そして、10月、
「来年から一番上のクラスにあがります。
なんとかフレームを一本、供給してもらえませんか?
部品も何も要らないので、フレームだけでもお願いします」
と、当時スペシャライズドを扱っていたダイワ精工の営業さんに
かしこまってお願いした。
今思えば、資料も何もなく、口頭だけで申し入れるという
ずいぶん身勝手なお願いである。
そして、フレームは来た。
営業さんがホネを折ってくれたのか、ショップの影響力が強かったのか、
なんにしてもフレームは来た。
いわゆる普通のMTBフレームだったけど、
素直で乗りやすい事で定評のあるフレームだった。
トライアルで使用する為に、GTからパーツを移植していると、
最後にまた、クラックを見つけた。
これはデカい。


ボトムブラケットの後ろに、
内側からパイプの半分以上、クラックが進行していた。
新しいフレームが決まり、乗る事もないフレームにクラックがあった所で、
それほどショックは受けないだろうと、想像するかもしれない。
実は、この時が一番堪えた。
いつクラックが発生し、どの程度の時間をかけて進行したのかは不明。
クラックにも気がつかず、無我夢中に乗り続けた僕を、
確かにこのフレームは自分を支え続けてくれていた。
なんだか、気がつかなかった事が情けなかった。
自分のフレームのクラックにも気がつかないのに、
いっぱしの事を言うようになってた自分が、
恥ずかしかったのだと思う。
= 愛着なんだろうか? =
なぜだろうか?
なんども溶接をしながら乗り続けたワケを、探ってみたが見つからない。
ただ、溶接だらけのこのフレームを、少なからず誇りに思っていたのは間違いない。
キズは、このバイクと一緒に過ごした時間の長さであり、
焼けた溶接痕とクラックは、無我夢中で乗っていた時間の証だ。

この自転車を使い込み、壊し続けた事で、
バイクに関する技術的な経験や、ノウハウなどを
身を以て知る事が出来た。
そして、それが今の糧になっている事はまちがいない。
『愛着』という言葉で表すと、
なんだかそこからはみ出る感情の方が多い気がする。
元々、執着心というものが薄いジブンである。
証拠に、その後のフレームは三々五々、人にあげてしまったり、
捨ててしまったりしている物も多い。
でも、このフレームだけは
これから先も手放さないだろうなと思う。
ま、あげると言っても、誰ももらってくれないだろうが…。
トライアル関連用品が今ほど充実していなかった昔、
手を加え、ポジションを検討し、
みんながぼろぼろになるまで自転車に乗っていた時代を、
へたくそな文章で表現してみた。
また、10年後にも、
今乗っているフレームで
同じ事を思ってる自分がいたらいいなと思う。
=終わり= |