つらつら:改元という区切りに思うこと(2019.5.6)

ちょっと調子が悪く、ほとんど外出もしないままGWが終わってしまいました。

その間に元号も変わってて、でも実際の生活に何の変化があるわけでもない。
あ、先月市役所に行った時に「次回から申請するときは新しい元号にした方がいいですか?」って話をしたくらいの変化だった。結果は、なんでも大丈夫ってことだったけど。

平成は30年と約4ヶ月あって、考えてみればそれはとても長い年月だけどそれを一つの時代としてくくるにはもっともっと時間が経過してからのことになるんだろうと思う。

前回の改元は西暦でいう1989年で、僕が思い出せるその頃の記憶というと、昭和天皇崩御の時のテレビの雰囲気と、同年に消費税が3%で開始されたことくらいで、ひょっとして国鉄がJRになったのもそのくらいだったかもと思って調べたけど、これは昭和62年のことで2年も前のことだった。

個人的には、前の改元前の12月に初めてマウンテンバイクを手に入れ、つまりそれは手に入れて1ヶ月経たない内に改元を迎えたんだけど、不思議と元号と結びつけて考えることがなく、おそらく僕にとっての元号とはその程度の問題であるんだろうな、と思う。

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僕がメーカーさんでお世話になる前にトライアルで乗っていたボロボロのマウンテンバイク。1989年モデル。
これで走れたのだから当時のトライアルというのも随分牧歌的だったな、と思う。トライアルだけじゃなく、マウンテンバイクも一つのフレームでいろんなことをするのが当然だった時代。

中古で譲ってもらってから計3年くらい乗ってたのかな。ヒビが入るたびに溶接してもらって、そうしたらまた別のところにヒビが・・・の繰り返しをしてました。

自転車のことをいろいろ考えるのは当時からのことだったけど、自分の乗るものにはからきし無頓着というのは今もあんまり変わってない。

先日も「高校生みたいな(ツルツルの)タイヤですね」って言われた。

うんまあ自分のは乗れればいいんだよ。危なくない程度にちょっと不便があると工夫のしがいもあって楽しいし。

新たな元号の中でも、きっとこんな感じだしあんまり変われる気もしないのですが、誰かに迷惑かけるわけでもないのでこれでいいのだ。

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この30年の間にマウンテンバイクのフレームの作りがどのような理由でどのような変遷を辿ったかなんてことを書いてみようと思ったんだけど、あまりにあっちこっちに飛び回ってしまう内容を収める文章力がないことを痛感しただけの結果に終わってしまいました。

考えることは言語にすることだって再確認。

ものすごくかいつまんでまとめると、新たな素材と新たな規格の登場し相互に干渉することでまたそれぞれの変化を促し、その変化の過程で自転車の作り自体の基礎が再度見直されることによって機材として飛躍的に進化した30年だったな、という感じかな。

感覚から理論へ。みたいな。

またそうした背景に持ちながら、使用用途によってフレームが設計されることが当然の時代となり、またそれらの用途を突き詰めていくことでまた新たな技術の発生と用途(ジャンル)を超えた共用が行われ、より目的に合致したバイクが作られていくようになりました。

つまり一つのフレームでなんでもかんでもっていうのはなかなか難しくなってきたなってこと。一人のユーザーとしては困ったもんだと感じています。

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改元から改元までの間、世の中ではインターネットが普及し、SNSなどによって誰もが簡単に自分から情報を発せられるようになったりしました。

さらに動画や写真・イラストなどもインターネットで簡単に見ることができるようになったことで、だんだんとモノの伝え方、というか情報の流れ自体も大きく変わったなぁと思っています。

僕のようなどこにも属していない人間の活動が誰かの目にとまり、わずかでも興味を持ってもらえるというのもこれらの恩恵で、インターネットがこれほど普及していなかったらどうなっていたかな、と思います。

反面、いろんな情報に触れる機会が増え、いろんなことを理解した気になってしまう怖さも感じています。
特に視覚的に得る情報は言語に頼らずに知ることができるので言語化する必要がありません。ですが、理解したり考えたりするためには言語を用いるので、知った情報と理解の間に隔たりが生まれるように感じています。

これは、僕自身が今抱えている問題で、自分ができること(感覚的に知ったこと)や誰かのレッスンを見ていて気が付いたこと(視覚的に知ったこと)を言語化していく過程で、適当な言葉が見つからなかったり、うまく順序立てることができなかったりするうちに諦めてしまうという。。。

危惧しているのが、言語化する時のストレスや諦めによって物事を単純化していくことに抵抗がなくなることで、そうなってしまうと僕の乏しい言語化能力がさらに低下してしまうということ。。。

いやひょっとすると、すでに映像や音声をそのまま人に伝える時代になっていて、新たな元号の世ではそれがさらに加速していくのかもしれないけど、それでいいのかという危惧は持っていたいな、と。

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久しぶりに垂れ流した感。

ではまた。