雑記:『自転車日記 /夏目漱石』を読んで当時の自転車事情など(2020.4.10)

『青空文庫』で夏目漱石の『自転車日記』というのを見かけて読んでみたら面白かったのでご紹介。

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(青空文庫|青空文庫早わかりページより)

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■ 青空文庫 夏目漱石|自転車日記 青空 in ブラウザー 版
http://aozora.binb.jp/reader/main.html?cid=768

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夏目漱石にこんな著作があるとは知らなかったなぁ。。。

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夏目漱石といえば『坊っちゃん』『こゝろ』『吾輩は猫である』『三四郎』など、100年経った今でも楽しまれている著作が多数。

この『自転車日記』は、漱石は全然乗り気じゃないのに『自転車』に乗る練習をした時の顛末。

ああ悲いかなこの自転車事件たるや、余はついに婆さんの命に従って自転車に乗るべく否自転車より落るべく「ラヴェンダー・ヒル」へと参らざるべからざる不運に際会せり

青空文庫 夏目漱石|自転車日記 青空 in ブラウザー 版
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当時ロンドンにいた漱石は、下宿のおばさんに「ちょっと自転車でも乗ってみたら?」って勧められますが、引きこもり気味であった漱石は全く乗り気ではありません。
それでも無理やり連れ出され、馬場で乗っては巡査に注意され、坂道を駆け下りれば人にぶつかりかけて板塀にぶつかり、道をゆけば急に曲がってしまったところに追突され、まだのれないのにとある婦人に一緒にいかが?と誘われ言い訳を羅列する。

そうした出来事一つ一つ、出会った人一人一人に、漱石が風刺混じりの感想・ボヤキ・愚痴を交えてテンポよく文が続きます。

読んでいて思ったのは、黙読よりも音読した方がテンポも良く楽しいってこと。
この1902年当時、漱石の生まれ育った東京ではやっぱり講談や落語などの寄席演芸が身近でそうした影響もあったのかな?とか思ったり。

それにしても100年以上前位でも、初めて自転車に乗るときには同じような練習をし、同じような失敗をするんだなぁと微笑ましくなってしまいました。
実際音読しながら笑ってしまったし。

文章読むのが好きな方、ぜひ読んでみてくださいな。

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さて、自転車乗りとして気になるのは、この頃はどんな自転車だったのか、です。

冒頭にあるようにこの話の舞台は1902年。和暦では明治35年。

この前年の1901年、日本では八幡製鉄所が操業開始され近代工業の狼煙を上げた時代。
またこの2年後には日露戦争の開戦。そんな時代です。

漱石の留学先のイギリス・ロンドンからドーバー海峡を挟んだ向かいのフランスではこの翌年1903年に『ツール・ド・フランス』の初開催。そのほかにも大規模なレースはすでに行われていたようです。
日本でも、1896年には最初の自転車レースが上野の不忍池で行われていたりと、そのくらい自転車が世間に認知され、また人気でもあったそんな時代。

古い自転車というとよくイメージされるのは、大きな前輪に直接クランクとペダルをつけた『ペニー・ファーシング(オーディナリー型、またはダルマ自転車)』ですが、この頃には、セーフティ型と言われるタイプがすでに普及していました。
ほぼダイヤモンドフレームでチェーンによる後輪駆動を持つこの自転車は、現在の自転車の原型となっており、空気入りのゴムタイヤなどもその初期から使われています。(世界で最初の空気入りはダンロップ社製)

日本のことですが、この時代の自転車の様子は、自転車文化センターさんのサイトを見るとイメージしやすいかな、と思います。

→ 自転車文化センター|自転車から見た戦前の日本
http://cycle-info.bpaj.or.jp/?tid=100129

このように、この時代には日本でもすでに自転車はお馴染みの乗り物でした。(かなり高級品であったとも言われますが)

ただ、とても重かったことだけは確かで、この頃の重たい自転車で長距離を走るレースをするなんて、僕なら遠慮したいところです。

 

漱石が、練習する自転車を手に入れるために自転車屋へ赴いたとき、監督役の某氏から『女乗(オンナノリ)』の自転車を「安全だから」という理由で勧められ憤慨している場面があります。

この『女乗』自転車はトップチューブがずっと下につけられていて足を大きく後ろへ上げなくても自転車をまたぐことができます。スカートでも乗れるように、ということですね。
後年、こうした形状のフレームの自転車を『婦人車』『ママチャリ』なんて呼ぶのは、この『女乗』の時代からの流れでもあるわけです。

漱石がこれを勧められた理由は、バランスを崩したりした時にすぐに降りて逃げられるようにってことなのですが、まだ男女の意識の強い当時ですから漱石は憤慨抗議して『男乗(オトコノリ)』ものにします。(ただ随分とボロボロのものだったようです)

押すとギイギイと音がなるということでしたから、当時のロンドンの自転車屋では中古も扱っていたのかもしれませんし、そのくらい店の隅に埋もれたままになっていたものなのかもしれませんね。

漱石の自転車練習は、最初は支えてもらいながら、その後に下り坂を利用して走ったりと、現在一般に自転車を乗る練習するのとあまり変わらなかったようです。

監督官云う、「初めから腰をえようなどというのが間違っている、ペダルに足をかけようとしても駄目だよ、ただしがみついて車が一回転でもすれば上出来なんだ」、と心細いこと限りなし

最初の練習の時、漱石の知己の監督官氏は上のようにも言っており、漱石がどの程度乗れなかったのかが想像できます。

漱石はおそらく、前を見ず足元のペダルに足を載せることにこだわるために、自転車が前に進むことをうまくイメージできなかったのではなかったかと思います。
文章からもわかるように、漱石はかなり見栄っ張りで意地っ張りなようですから、最初から上手にスイスイ乗れる人の姿と同じように乗ることに執着してしまっていたのでは?と。

そうでなくともこの頃の重たい自転車は、一度バランスを崩すとそれを立て直すのに苦労します。漱石のような初心者がゆっくり走らせているならなおさらです。

後日、漱石は

自転車のくらとペダルとは何も世間体をつくろうために漫然と附着しているものではない、鞍は尻をかけるための鞍にしてペダルは足を載せかつ踏みつけると回転するためのペダルなり、ハンドルはもっとも危険の道具にして、一度ひとたびこれを握るときは人目をくらませしむるに足る目勇めざましき働きをなすものなり

と『数日来の手痛き経験と精緻せいちなる思索とによって余は下の結論に到着した』らしいのですが、この後実際に(全くコントロールを失いながらも)とにかく前に進んでいる描写があることから、ペダルを踏むと自転車が進むということと、ハンドルを握っていればそれっぽく走ることを(頭では)理解したのではないかと思われます。

ただまあ、理解したからできるというわけでもないというのはその後の顛末が証明していますが(笑)

 

漱石が初めて練習したところは”馬乗場”で、ここで練習していると「ここは馬の乗るところだから」と巡査に注意されてしまいます。
また、道に出てコントロールを失って曲がってしまった時には、後ろから来ていた自転車に衝突されてしまいますが、その際には当時の曲がる時のマナー(?)なども出てきます。

後で聞けば、四ツ角を曲る時にはベルを鳴すか片手をあげるか一通りの挨拶あいさつをするのが礼だそうだが、落天の奇想を好む余はさような月並主義をらない

“月並み主義は採らない”なんて言ってないで、ちゃんと謝りなさいよ、なんてツッコミを入れつつ笑ってしまいました。

当時人気があったとはいえ、いや、あったからこそ、様々なルールがすでにあったことが伺えるエピソードです。
日本ではどうだったんでしょうね。また機会を見つけて探してみます。

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まさか夏目漱石の著作から当時の自転車事情を垣間見ることになるとは思いませんでした。

最終的に自転車に乗れたかどうかは、読んでみてのお楽しみです。

外出しにくいのでいっそ読書などで”おこもりさま”になってみるのもよろしいかと。

ではまた。